19th Ave New York, NY 95822, USA

座談会・シンポジウムの記録

未来に受け継ぐピアノ音楽の実験〜「拡張ピアノ奏法の可能性」シンポジウム
日時:2021年8月7日(土)15:00〜
会場:両国門天ホール(東京都墨田区両国)
 

 

(これは、シンポジウムの完全な書き起こしではありません。ぜひ、記録動画をご覧ください。)

記録動画:https://www.youtube.com/watch?v=gUBH3-Kt_5A

 

司会・進行:長木誠司(音楽学者)

パネリスト:伊藤祐二(作曲家、プロジェクトメンバー)

井上郷子(ピアニスト、プロジェクトメンバー)

三浦明道(調律師、ワークショップ講師)

鐘ケ江織代(元ホール職員、ホールリサーチ部門メンバー)

近藤譲(作曲家)

 

はじめに伊藤氏より、シンポジウムの論点として次のような問題が提起された。

 

-スクリーンに投影された資料-

1: 表現の現場

1-1) 表現の場では、何をやってもよい?(芸術の特権性はまだ健在?)

1-2) 表現者にとっての、ピアノというものの位置づけ

1-3) そもそもの、知識、経験の欠如の問題

2: ピアノの現場

2-1) 本当に傷む? 傷む=禁止でよいのか?

2-2) 調律師の立ち位置と、その意識

3: ホール、ピアノ管理者の現場

3-1) ピアノというものの位置づけ

3-2) ホール(ピアノ)管理者の立ち位置と、意識

3-3) 公共性の問題

 

-解説-

1-1)世の中のマジョリティの常識や感性と摩擦を起こす表現・芸術表現においてそれは擁護されるべきではないのか?(芸術表現の特権性=近代芸術のなかでそれは擁護されてきたはず。)

1-2)音楽家にとって、ピアノとはどういうものか? ただの道具? 自分の分身? 物神化されたもの?

1-3)音楽家であっても、拡張ピアノ奏法についての知識、経験がない場合が多い。環境に原因がある面も。どうするのか?

 

2-1)正しいリスク管理をしても、ピアノは本当に傷むのか? 実証的にどうなのか? 仮に、傷む、とした場合、では、傷む=禁止 という思考で良いのか?

2-2)調律師の立場、役割とは何か?

 

3-1)ホールにおける、ピアノというものの位置付けは? (動産? 不動産?)

3-2)ホール(ピアノ)管理者の役割とは何か?

3-3)根拠がはっきりしないまま、(拡張ピアノ奏法を用いた)表現が禁止されているのではないか? 「みんなで使うピアノ」という時の「みんな」には、拡張ピアノ奏法を必要とするアーティストは含まれていないのか? 特定の表現が排除されていないか? 公共性の問題。

 

こうした問いが、この問題にかかわるすべての関係者に問われている。

 

これを受け、長木氏の進行により、パネリストそれぞれの立場からの発言をもとに議論された。

 

長木:①ホールの管理者から見たピアノの位置付けについて。②ピアノ使用ガイドラインを設定すればうまくいくのだろうか。

鐘ケ江:滋賀県、京都市、東京都の公共施設で企画運営に携わってきた。ピアノをどう管理するのかは、各ホールの財政、環境、組織などにより大きく違う。管理部門と企画部門が分かれているのかとか、自主事業と貸し館それぞれの条件や自由度の違いなどによる。

実際に、プリパレーションを含む公演を自主事業で企画しようとした際、管理部門に断られたことがあった。貸し館になった際に同じことを申請された時、(管理部門では)どうしたら良いかわからず、責任が取れないから、という理由だった。そういう事情は理解できる。

今回のリサーチで、ホールでは「なぜそれができないのか」が曖昧であることも明らかになった、

だから、アート・マネージメントに必要なのは、全く知らない人に「なぜ今、それを、ここでするのか」の説明をしていくこと。

ガイドラインを設定しても、現場はすぐには解決できないが、ガイドラインが、自分たちのホールではどうするのかを考えるきっかけになると思う。

拡張ピアノ奏法をできるところにいた事もあるが、そこでは、信頼できる調律師が、常にアフターケアをしていた。

長木:拡張ピアノ奏法を実施するピアノを担当してきてどうか。調律師なら、どなたでも対応可能なのか?

三浦:拡張ピアノでも、普通のピアノでも、ジャズでも、調律師のやることは同じ。ピアノを良い状態に保つ。ボルトを使う場合も、「見守る」。「終わってからの現状復帰をする」。だから、だれでも対応可能。ただ、演奏家と(拡張ピアノ奏法を巡って)コミュニケーションを取るには、経験があった方が良いが、基本的には調律師は調律が仕事。

長木:ピアノによって、弦の張り方、フレームの位置等が違う。そういう場面で演奏家に助言を求められる事はあるのか。

三浦:ある。何とか工夫して。(文献などがあっても)現場で判断することになる。

長木:調律師を育成することは可能か。

三浦:可能だと思う。ある一定の人たちだけにしかできないようであれば、あまり広がらないのではないか。

プリパレーションされている状態は、心配していない。取り付け、取り外す際の所作の方が懸念が大きい。安易にやると傷つける。

長木:芸術の特権化についてどのように考えるか。

近藤:基本的には芸術家は何をやってもいいと思う。ただその「何やってもいい」は、個人の意思だけでなく、社会の倫理的な基盤とどういう関係にあるのか、という問題。社会の倫理的基盤に反抗して、犯罪と思われてもやる、それが表現行為だ、という芸術家も当然あり得る。一方で、その作品は、残って機能する事はない。芸術家が自分の芸術行為を社会の中でどう考えるかによるので、二つの矛盾した答えが同時にあり得る。

拡張奏法の例として、カウエルやケージが挙がっているが、カウエルだからいいというものではない。例えば、カウエルの「タック・ピアノ」は、画鋲でハンマーを傷つけてしまう。カウエルにとって、ピアノは新しい音を作るための道具にすぎなかった。カウエルやケージが活動していた「場」も違う。ゴミ捨て場に捨てられそうなピアノで行ったのであり、カーネギーホールではない。どのような社会的な状態のなかで行われるかということと、拡張奏法が可能かどうかは、絡み合った問題。又、「道具」にすぎない、と言っても、いいものであればあるほど、道具は特定の目的のために完全に良く奉仕するために作られている。板前は自分の包丁を他人に使わせない。他人が使うと切れなくなると考えるから。今のホールのピアノは、19世紀後半以降の音楽が目指しているピアノの音響を最大現に実現するために非常に注意深くに作られている。だから、「これでそんなことをしたらショパンを弾けなくなる」という神経も当然あるわけで、確かにそれは過剰反応だが、道具だから何をしてもいいというのも乱暴。

長木:拡張奏法は、現代の創作にとって、どういう意味があるか。

近藤:18世紀までは、鍵盤楽器にとって大事なのは調律だった。あらゆる調律の理論書が書かれた。19世紀には音楽の形成手段として「響き」を重要な要素として使うようになり(ロマン派)「響き」の重要性が増し、特殊な機能が付いた、響きを作る為のいろいろなピアノが作られた。その延長線上で20世紀は、音楽を構成する主要な要素が「響き」だとする傾向が強まって行き、「新しい響きの資源」が必要になってくる。楽器の奏法を拡張していこう、という考えは、ピアノだけでなく、管楽器でも弦楽器でもある。ピアノはこれまでピアノの中に手をつっこむこと等はしてこなかったのでそこにアレルギーがあったが、現代の音楽を構成する主要な要素が「響き」である限り、むしろ拡張奏法は当たり前と受け取られる時代。個人的には、私は、音楽を構成する主要な要素を「響き」とする事には反対の立場にいるが、一般的にはそうなっている。

長木:今までの話を聞いてどうか。

井上:ワークショップには、三浦さんにずっと立ちあってもらった。プリパレーションの取り付け、取り外しについて、受講生の作業を細かく見て下さった。私はリチャード・バンガーの「ウェル・プリペアドピアノ」を参考にしてきたが、三浦さんには30年くらいお願いしていて、弦を広げる時の道具の素材から、使い方の注意点まで、現場で多くのアドバイスを得た。ピアニストと調律師が、ピアノというのはどういうものかを一緒に考えるようになったら良い。

長木:プリペアド・ピアノを扱うピアニストと調律師の関係はどのようなものか。

三浦:過去にはほかの方も担当したことがあるが、今は井上さんだけ。

長木:プリペアド・ピアノを扱うピアニストと特定の調律師との関係はあるのか。

鐘ケ江:あると思うが、ホールでは、演奏家が専属の調律師を呼ぶ場合に、ホールの調律師も立ち会うパターンが多い。

長木:演奏家と息のあった調律師が必要ではないか。不特定の調律師と演奏家とホールがぱっと出合っても、うまくいかないように思われ、やはり綿密な人間同士の関係がいるように思われるがどうか。

三浦:多くの場合、ホールと調律師の関係は、(調律師の所属する)会社とホールの関係。そうすると、不特定の調律師になる。

長木:伊藤さん、この時点でどうか。

伊藤:近藤さんのお話に戻る。板前の包丁の「切れなくなるから使うな」という比喩はよくわかる。

ピアノも高価で、慎重に手入れされ、管理されているのだから。そのような心情を理解しないで、アーティスト側も、「道具だからやっていいだろう」というのでは、コミュニケーションが成り立たない。お互いに、自分と違う感性を理解し合う、ということが前提。その前提に立った上でしかし、「本当に傷むの?」

という問いは、実証的に問われなくてはならない。お互いに納得できる実証的な方法で。

この問題は、皆が互いに、自分の持っている感性、思考から少し出る必要があるのではないか。

具体的な「傷む」問題だが、むろん、傷むようにやれば、傷む。一方で、本プロジェクトでは、リスク管理しながらやってきたが、三浦さんのお考えはどうか。

三浦:安易に扱うと傷む。弦にボルトを入れるようなことじゃ無くても、例えば、ベルトのバックルが楽器を擦る、アクセサリーが当たる、内部に物を不用意に置く、慣れない人が弦にコインを挟もうとして跳ねてしまう、などたくさんある。

ただ、ボルトを入れて弦が傷まないかということについては、自分のなかでは解決している。実際に、弦と素材を擦ってどちらが傷つくのか、という実験をやればよい。私は常に鞄に弦の切れ端を持っている。

弦が錆びてくると切れるだろう、ということは想像するし、弦の傷が増えると倍音などの鳴りが変わるかもしれないが、それも実験して得た知識ではないのでわからない。実際には、そこまで酷い状態のピアノは見たことがない。その前に張り替えられている。

長木:ピアノは西洋楽器のなかでは工業製品の際たるものだから、案外頑丈なのかもしれない。道具論と、ピアノ取り扱いのガイドラインについてはどうか。

近藤:板前の包丁の例は比喩。ピアノは長木さんの言うように頑丈なもの。私が言いたいのは意識の問題。傷むか傷まないかでいうと、僕も傷まないとは思う。使わないで放っておいた方が、プリパレーションするよりよほど傷む。しかし、「傷むのではないか」という意識が出てくる、というところが問題。マニュアルが準備されれば、空気を変えていく大きな力になる。ただ、細かすぎてはいけない。演奏家が現場で臨機応変に対応する事が非常に大事。マニュアルは、絶対これは守る、という最低限にすべき。本質が見えなくなってしまってはいけない。

鐘ケ江:使わないピアノの問題についてだが、地方の公共ホールでは、使ってもピアノの発表会程度、という場合もある。ただ、なんとか活用したいと考えている担当者もいる。現代音楽や、拡張ピアノ奏法は、企画の材料になる。実現が難しい場合には、オーバーホール前のピアノを使う方法がある。実際にオーバーホール前のピアノを使った拡張奏法の企画を行った時には、とても楽しかったし、おもしろさが伝わった実感があった。メンテナンス前のピアノを使う、というのは現実的な提案かもしれない。

井上:(鐘ケ江さんの例示に出ていたホールのように)6台ピアノがあったら、そのうち1台をプリパレーションに使える、とはならないのか。

鐘ケ江:ホールが自分たちの管理しているピアノに対して、もっと関心を持つ必要があるだろう。

長木:管楽器や弦楽器は、音を作るところから始まる。ピアノは、叩けば鳴る。音が出る仕組みに対して、ピアノは無意識になりがちなのではないか。拡張奏法は、鳴っている原理そのものに耳を傾けさせる効果が大きい。拡張奏法はそれを見せる面白さがある。

近藤:オーバーホール前にイベントをやるのは良い案だけれども、それが定常化してしまうと非常に良くない。「やはりすぐオーバーホールするピアノじゃないとできないんだ」というイメージが広がるのは困る。

ホール管理者だけでなく、演奏家も作曲家も、ピアノというものに対する基本的な知識を持っていないことが大きな問題。知識を持っていれば、これくらいなら多分傷つかないだろう、これをやっちゃダメだろう、というようなことがある程度わかる。音大のピアノ科の学生でさえ、自分の楽器の構造、歴史を知らない。管楽器の学生でも、どこが振動して音が鳴っているのかを知らない。これは大学の教育のレベルでしっかり教えるべき。

鐘ケ江:近藤さんの指摘はその通り。ホール管理者含め、皆、拡張奏法を見たことも無い。そう言う人にできます、と言えない。大丈夫だという実証の機会、経験にできればよい。

演奏家と調律師の関係の話があったが、そこにホールの担当者も加わると、ホール特有の要素も加えられる。そういう関係ができると良い。ホール、ピアノ管理者も、ピアノについてもっと知る必要がある。

井上:大学で拡張ピアノが試せる環境が整えられていれば、もっと違うのではないか。私の大学では、そのためのピアノを用意してある。自由に使えるピアノをレッスン室に2台。次第に、大ホールにも1台、コンピューター音楽室にも1台、というふうにだんだん浸透し、ピアノ科にも少しずつ浸透していっている。環境を作っておく、という事は教育の一環としてとても重要。(注)

近藤:なかなかピアノの構造などを扱う授業を作るのは難しいけれども、最近、歴史的ピアノへの関心なども高まっているから、働きかけでカリキュラムに入れ込むこともできるのではないか。

長木:確かにピアノを歴史のコンテクストで見るようになっている。それは20世紀の終わりぐらいから始まったものであり、それ以前にはなかった。

ガイドラインを作る場合、どこで、誰が、どういう手順で作るか、パブリシティはどうか、どのくらいのインパクトで、どのように配布するのか。

伊藤:具体的なことは2つ。1つは実証的なレベルで、構造上の問題や素材の問題として提起する。2つ目に心情的な話。例えば、実際にワークショップの出張をやる。生音を自分の耳で聴くと、素晴らしい反応がある。感性で訴える必要もあるのではないか。それから、ホールのキュレーターとのネットワーク作りも必要だ。

近藤:アメリカのプロトコルはどうやって作成されたのか。

池原(作品リサーチ部門メンバー):「様々なピアニスト、作曲家と協議の上で、アメリカのピアノ技術者協会と大学技術者委員会のメンバーによって用意された」とのこと。

近藤:ピティナとかを巻き込んで…。

長木:今あるものから少しずつ拡げていけばよいとは思うが、ある程度その先のことを見取り図にして計画した方が良い。50年後にも「変わってないよね」と又言われないようにする必要がある。具体的に詰めていく必要があるのではないか。難しい事だが、展望を持つというのは一歩進んだことになる。

伊藤:このプロジェクトでは、ウェブサイトを制作中で、このプロジェクトのすべての情報を残す予定なので、うまく活用・参照してもらえれば。

長木:ありがとうございました。これで、拡張ピアノ奏法に関するシンポジウムを終わります。

 

(注)井上:シンポジウム終了後、学生たちの演奏実践の場である“新一号館”に、さらに2台設置した。